自分の親は、これをあまり使わなかったよう記憶しているが
自分が親になってからは、私の感覚ではこれを少し使った気がするが娘に言わせると「乱用」との事です(笑)
ずっと何となく思っていた事を明確に書いている人がいました。
下は、ある記事の抜粋です。
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「スポーツは教育の取引材料じゃない。」前からずっと思っていたことだけれど、サッカーを(スポーツを)教育の取引材料にする人が多すぎる。
勉強の成績が下がったからサッカーやらせない何か悪さをしたらサッカー行かせない、部活停止、家での生活態度が悪いからサッカーを取り上げる。
家で起きたことは家で解決すればいいし、勉強の成績が下がったのなら先生や親の責任。ご自分の教育の失敗、拙さ、その補完ツールとして、サッカーを使われる。
サッカーを、子どもとの取引材料に使う大人。
学校の先生も、親も。
サッカーに行く時間を削ったって、勉強やらない。
部活に行けなくなったって、そしたらなおさら遊ぶよ。
サッカーを取り上げられたくないなら勉強しっかりやれ、品行方正に生活しろ。
これは動機付けとして間違ってる。
これを続けていくとお父さんに怒られたくないから仕方なく勉強する、先生に睨まれたくないから真面目を演じる、サッカーを取り上げられたくないから勉強する、お父さんの言うことを聞く、その他…これは悪名高きキラーワード【外発的動機】そのもの。
何か目に見える対価がないと頑張れず、評価されたい、叱られたくない、罰を受けたくない、好きなサッカーを取り上げられたくないから勉強をやる、言うことを聞く…ご自分の子どもを、ご自分の生徒を、そうさせたいのだろうか。
勉強は勉強、サッカーはサッカー。
二兎を追う者は一兎をも得ずと言うけれど、それは二兎を追う勇気のなく、その時間のコーディネートや自分のデザインをできなかった者の言い訳だし、子どもを操作し管理したい、自分もそうだったんだからと思い込んでいる大人の常套句だ。
二兎を追うものだけにしか、二兎を得るチャンスはない。
もし勉強の成績が下がったり、生活態度(これ自体も変な言葉だけど)が悪くなったのだとしたら、そこでサッカーを取り上げるのではなく(だって関係ないもん』「お前、今日のサッカーを誰よりもしっかりやって来い。話はそれからだ」と言うべきじゃないか。
ましてやサッカーはチームスポーツなので、そこにはチームメイトがいるからね。
決して親にはわからない、選手同士、選手⇆コーチだけの世界がある。そこに立ち入る資格は、親には一切ない。
もちろん学校の先生も部活を自分の教育の拙さを補完する道具に使うのは、もう本当にやめてほしい。
この辺のスポーツの捉え方を整理しないと、日本にスポーツが文化として根付くのは難しいと思います。
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めっちゃ共感するところに、アンダーラインや太字にしようと思ったけど
その殆どになってしまうのでやめておきます(笑)